独語51 モンゴル訪問 2000(平成12)年

2000年7月、東京都獣医師会南多摩支部(南多摩獣医師会)が企画したモンゴル旅行に、私たち夫婦が割り込み参加したことを思い出したので、改めて書き記す。
モンゴルのウランバートル空港に到着し、緑の草原が迎えてくれるものと思っていたが、周辺を見渡したところ、茶色の世界で、緑は殆ど見られず乾燥した景色で、しかも家畜の白骨も放置されたままだったので、第一印象はえらいとこに来たもんだ思った。そのうえ、持ち込んだ荷物が多すぎて通関できず、長いこと待たされた。
聞けば、数か月にわたる長期間雨が降っておらず乾燥したままなので、新緑を待ち焦がれているとのこと。そのうえ、今冬に最大級のゾドに襲われ、ものすごい数の(数百万頭)の家畜が餓死したという。ゾドは大量の降雪で地表が覆われ、尚且つ凍結したことで、家畜が地表の乾燥した草を掘り起こして食べることができないために餓死したしたとのこと。この厳しい現実に唖然とした。通関に手間取ったのは、獣医師会のメンバーが、モンゴル農業大学でモンゴルの獣医師と学生に向けて講義とデモンストレーションを行うために、手術機材、薬品、その他の資料が多量になったからで、モンゴル獣医師会等に連絡し、やっと通関できた。

翌日は、テレルジのゲルキャンプに移動し、乗馬が初めての人も乗馬トレッキングで周辺を散策した。近くに川があり森があったので、草花を見ることができ、ほっとした。宿舎のゲルは、遊牧民の家で、家屋の骨組みに厚手の毛織布を被せて覆ったもので円形のワンルーム、天井に小窓があり煙などを排出できるが、出入り口以外に窓はない。何日も雨が降り続いたら・・・・でも、雨が少ない土地柄で、簡単に組み立てられるために、移動が簡単である、遊牧の知恵を体感した。
3日目は、南多摩獣医師会の要望?で旅行会社が、特別にミニナーダム(少年たちによる競馬モンゴル相撲馬頭琴などのモンゴル音楽演奏)を企画し、競馬のゴール地点の草原に大きなゲルを設え、馬乳酒やモンゴル菓子などを振舞われた。競馬は、20㎞以上?離れた場所からスタートしゴールに駆け込むもので、30頭以上の馬と子供騎手たちが、土煙を上げながら競う。ゴール地点には、子供たちの家族が待ち構えた。この間、モンゴル相撲が約20人の力士(レスラー)?がトーナメント方式で行われた。さらにモンゴル衣装で着飾った楽士たちが、馬頭琴、チェロサイズ、コントラバスサイズの馬頭琴?、チェンバロ?、横笛などでモンゴル音楽を演奏し、我々を楽しませてくれた。毎年行われる本物のナーダムは、この10倍以上の規模で行われるとのこと。
4日目は、モンゴル農業大学に行き、モンゴルの家畜(馬、牛、ヒツジ、ヤギ、ラクダ)遊牧について説明を受けたが、欧米や日本の牧畜の態様とは大きく異なっていた。南多摩獣医師会のメンバーは、レクチャーと外科手術のデモンストレーションのために大学に残った。ご婦人を含むその他のメンバーは、元日本軍の軍医で、80歳の春日先生(横浜市在住)が、軍人恩給や年金で運営され、6匹の鯉のぼりが泳いでいたチルドレンセンター(孤児院)を訪問した。マンホール・チルドレン、ストリート・チルドレンと言われた13名の子供達とその世話をするモンゴル人夫婦が迎えてくれ、山羊の丸焼きなどで歓待してくれた。室内には、歌舞伎役者が描かれた凧5枚が壁に掲示され、屋外には温室があり、そこは湿度が保たれ葉物野菜などが栽培されていた。野菜を食べる習慣がないので、食べさせているという。
観光では、戦勝記念施設のサイサントルゴイからトーラ川を含むウランバートル市街の全景を鑑賞、スフバートル広場、国会議事堂、恐竜化石博物館、国立演芸館、チベット仏教のカンダン寺、長い白い外壁があるエルデニゾーとソブラカ(白い仏塔)、日本の援助で稼働しているカシミヤ工場などを見物した。
長時間のバスで草原の移動中は、トイレがないので、ご婦人たちは大変な思いをした。途中で運転手の知り合いのバヤンゴビ・ゲルに立ち寄って休憩した際、私だけオーナーの馬に騎乗させてもらい近くの丘上まで往復した。その後宿泊したゲルで、追いかけてきた音大の学生5人による馬頭琴、モンゴル琴、チェンバロ?、横笛によるコンサートが予定外に行われ、持参したCDを売ろうとした。移動は、すべてバスで、志賀プリンスホテルと書かれた中古の送迎用バスで約50万㎞走行しており、悪路を問題なく走ってくれた。
降雨後たった3日間で緑が芽生え始め、一気に景色が変わったことは驚きであったが、移動中数か所に旧ソ連型のソホーズやコルホーズを模した農場(畑)らしきものがあったが、乾燥からか全く栽培できていないようだった。
モンゴル初訪問であったが、一般の旅行では体験できないものを含め盛沢山だったことに、大いに満足し感激・感動した。当時は、日本との格差が、大変気になったが、今では大分縮まったことだろう。