独語80 多度大社・上げ馬神事4

2024(令和6)年5月4日、5日に、三重県桑名市の多度大社で、上げ馬神事が開催された。
昨年、SNSを通じて、上げ馬神事が馬の虐待に当たるとして大批判が起こったため、坂上の垂直な壁を無くし、坂の傾斜を緩くし、馬への暴力を完全に排除するなど、大幅に改善されて行われた。勇壮(野蛮な馬虐待など)でクレージーな祭りから優雅で荘厳な催しもの(イベント)に向けて大きく舵を切り、第一歩を踏み出したと言える。
今回は、多度、小山、北猪飼の3地区から三人の乗り子(騎手)が選ばれ、4日は二回で6頭の馬が、5日は一回で3頭の馬が上げ馬を行ったが、坂上で一人が落馬した。が、全ての馬が上げ馬を成功した。本来ならば、この他に戸津、力尾、猪飼の三地区も参加していた。このうち猪飼地区は、少子高齢化で適齢少年がいないから、今年の神事に参加しないとなっていた。戸津と力尾の二地区は、準備が間に合わないとのことで不参加と聞いた。
4日午前中の馬場乗(乗り子が馬に騎乗して坂下までの走路馬場を往復する)は、馬への威嚇や暴力がなく、馬も乗り子も落ち着いた状態で、スムースにスタートし、何の問題もなく行われた。
上げ馬神事本番も、私が思い描いていた通り、何のトラブルもなく、全ての馬は落ち着いた状態で格好よく駆け上がったと思う。坂に並んだ少年達は、大声で威嚇することなく、落ち着いて整列していた。何よりも良かったことは、過去の上げ馬神事での乗り子の顔つきが、弩緊張で顔が引きつっていたが、今回は、全ての乗り子は、落ち着いて余裕がありそうな表情で誇らしげに見えたことである。また、全ての馬も沈静し過度な興奮もなく暴走もなく落ち着いて駆け上がった。人も馬も危険な目に合わず、安心・安全にな状態で優雅に行われた。4月20日の上げ馬予行練習(馴致)が、奏効したと思う。
なお、4月に猪名部神社で上げ馬神事が行われていたが、昨年まではコロナで、今年は、多度大社の神事の様子を見るために行わず、そのうえで次年度以降の上げ馬神事を実行するかを否かを判断するとしています。
モヘジ考
700年の歴史がある上げ馬神事は、当然、日本の在来馬である木曽馬などを使っていたはず。大型のサラブレッドが日本に導入されたのは、明治の末期で、日本軍が軍馬として徴用していたが、先の大戦で日本が負けた後、日本の各地で競馬が開催され今日に至っている。坂上の垂直な壁を設えたのは何時頃なのか、またサラブレッドを使うようなったのは何時からなのか、上げ馬神事の文献などを調べたが全く分からなかった。よって、推測するしかないので、サラブレッドが余剰気味になったころ、戦後間もなくから使われ、同時に、途方もない高すぎる垂直壁を築いたと推察される。
明治時代や江戸時代以前を思い描くと、自動車等がないので、馬が農耕、物資運搬、人の移動(乗用)などに使われ、人の生活に必要なものとされ、大切に扱われていた。当時の領主や殿様が、生活の糧となっている馬を危険な目に合わせることを強要したとは到底考えられない。文献に、「上げ坂」の文言はあるのみなので、高さ2mの壁はなかったはず。それ故、今年からの上げ馬神事は、古来からの「上げ坂神事」に戻ったと言える。
乗馬の障害飛越競技では、水平馬場での高さは160㎝までとし、それ以上は危険であるとされ、ましてや上り坂の頂点に高さ2mの壁(障害物)は全く考えられない。
では、何故上げ馬神事で、垂直壁を越せる馬がいるのは、馬を過度に虐待し、無茶苦茶に大興奮させて狂奔状態に陥らせたからである。実際に成功するのは30%以下で、大半は失敗している。馬に能力以上の要求を強いて無理やり挑ませて大半が失敗するこの事実は、馬への「酷使」に該当する。なお、一人の乗り子が、能力、感性などが異なる三頭の馬を御すことは、大変難しいことである。
多分、70余年間にわたって、馴致もなくぶっつけ本番で馬を虐待して狂騒状態にさせる祭りに慣れ親しんだ地元の人の多くは、勇壮でダイナミックなものと信じ込んでいるだろう。今回の改善で、安心・安全で全ての人馬が上げ馬を成功したことに、もの足りなさ、張り合いがない、醍醐味がないなどから、受け入れがたく戸惑っているかもしれません。上げ馬神事が、野蛮で勇壮な祭りから、優雅で荘厳な祭りに大きく変化する時が来たと受け入れて、これらの方々も、未来の上げ馬神事の在り方に向けての役割を演じてもらいたい。
TTPを応援し、将来の上げ馬神事を期待を込めて見守りたい。