独語101 3月11日;東日本大震災

1,2011年3月11日、2時46分、東日本大震災
経験したことがない大きな振幅の揺れに驚愕したが、幸いにも家具の転倒や物の落下などがなかった。だが、玉川学園地域は、電源が維持され停電はなく、TVで情報が得られていた。少し離れた地域ではすべて停電し、小田急線もストップ。
診療を終え、スタッフ二人を車で送るために19時ごろ出発したら、少し離れた場所から民家の明かりも街灯や信号も点いておらず真っ暗闇。道路は、車があふれて大渋滞。何とか鶴川で一人を下ろし、生田で二人目を下ろしてから藤沢に向かった。246号線をはじめ藤沢までの道路は、街灯や信号すべてがアウトで、暗闇と大渋滞。
わが奥様は、大船に花見に出かけていて、小田急線の藤沢駅まで歩くと連絡があったので迎えに行く羽目になった。藤沢駅に着いたら、奥様以外に4人の仲間が待っていた。車中のラジオで地震に伴っての大津波の情報があったが、被害の実態は不明だった。全員を送り届けたら真夜中の3時近かった。
翌日12日になると、地震の被害よりも想定外の大津波による大災害の実態が続々と放映され、TVの前に釘付け。高さ15mを超える津波で、東北各地と茨城県の太平洋沿岸地域にメチャクチャな被害をもたらした。15年たった今でも、被災地の人口が戻っていない。福島の原子力発電所が損壊された時、一斉に緊急避難で広範囲の住人が避難を余儀なくされていた。この損壊原発の安全対策に、巨額な費用を投じているにもかかわらず、遅々として進んでいないことが気になる。メルトダウンした核物質の取り出しが、たったの0.9gしか。なんとも情けない状態。あと何十年もかかるとか
2、被災ペット救護
この大震災で、多くのペットも被災した。被災ペットの救済のために義援金約7億円が、緊急災害時動物救援本部(救援本部)に寄せられた。
この救援本部は、1995年1月に起きた阪神淡路大地震の後に設立されたものだが、この義援金の使途について、異議があったので私はクレームを出していた。この救援本部が訴えられたこともあって、組織替えを迫られ、組織の名称変更と代表者変更が議決された。2016年に、一般財団法人ペット災害対策推進協会(災対協)と名称変更された。あろうことか、私が代表理事に指名され、ものすごく嫌だったが、他に誰もいないとのことで、しぶしぶ引き受けることになった。
理事長時に、訴えられた裁判が、私腹を肥やすことなく、使途に少々の難があっても被災動物に使ったと認められて勝訴した。しかし、残余資金の使途については、被災したペットの救済のみに使うことと制限されてしまった。
この大震災時に、にわか動物保護団体や個人の活動家がものすごく出現し、被災ペットをモデルにして義援金(募金)集めに精を出したこと(災害ビジネス化)もあって、急速に災対協に義援金が寄せられなくなった。
この後の熊本大震災時には支援できたが、運営資金すら集められなくなったので、2018年12月に災対協を閉鎖しました。以降の災害時にはペットフードや物品などの支援は、ペット関連業界が担ってくれます。
今後の災害時の動物救護活動は、都道府県の動物愛護センターが主体となって行ってくれることを願っています。
3,被災農場動物(家畜・家禽)
この大津波で、福島の原発が破壊され、周辺地域が居住不可・困難となった。それ故、牧場主家族も、家畜を置いて避難せざるを得なくなった。その際に、舎外に家畜が解き放されたもの、舎内に閉じ込められたままのものがあった。
放獣された家畜は、周辺の草や作物を自由採食して生き延びることができる。豚の中には、イノシシと交雑してイノブタを産んだのがいたようだ。牛も放たれたと思うが、馬や鶏と同様に情報がなかった。
閉じ込められたままの家畜は、救出されたのはほんのわずかで、他のほとんどは餓死を余儀なくされた。
TVの画面で、牛が太りすぎて舎外に出れないのがいた。これは、狭い牛舎に閉じ込めて濃厚飼料を過給した際のもので、過度に太らせることは虐待に該当するが、我が国の牛肉の等級性の弊害がもたらしたものです。このほかに、救出した牛を飼い続ける方も現れたが、放射線を浴びた牛を屠畜にすることができないので飼い続けるしかないが、その後の状態は不明です。
被災した家畜の救護について、農水省に掛け合ったが、飼養管理者(飼い主)がいなくなった時点で、農水省は関知しないから、救護の義務はないと言った。問い合わせた際には、牧場主からの家畜の救護の依頼はなかったと言うが、農水省の態度は、情けなく腹立たしい。
15年たった今でも、この状態は変わらないのが、我が国の実態である。